◆ 旧九鬼家住宅の左桟瓦

旧九鬼家住宅の屋根瓦の形が一般的な瓦と違っているのがわかりますでしょうか?


 【旧九鬼家住宅1階南側下屋の瓦】

      (左桟瓦)

 

 

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【現在の一般的な瓦】

(右桟瓦)


 両方とも桟瓦(さんがわら)といいますが、前から見た「へ」の字の流れが左右で逆になっています。現在は左側に山形の桟がある「へ」の字の右桟瓦」がほとんどですが、強風の向きによって逆の左に桟がある「左桟瓦」を部分的に使い分けることがあります。

 旧九鬼家住宅には、風の強さや向きにあまり関係なく、多くの瓦に「左桟瓦」が使われていました。どうしてなのでしょうか?


◆ 桟瓦の豆知識

 瓦が伝来して広く用いられてきた本瓦葺き(ほんかわらぶき)は、平瓦(反りのついた板状の瓦)と丸瓦(半円筒形の瓦)を組み合わせて交互に葺きます。重量が大きく、高価だったため、主に社寺に使われていました。

 桟瓦は本瓦葺きの平瓦と丸瓦を一体にしたような瓦で、江戸時代の初期(1674 年)に近江三井寺の瓦師・西村五郎兵衛(のちの半蔵)が軽量で安価な瓦をつくるため考案したとされます。

 桟瓦は本瓦に比べて屋根組や柱への荷重が減り、施工手間も軽減されてコストダウンにつながりましたが、すぐには普及しませんでした。「結構」なものとされた瓦葺き規制が解除された江戸時代中期以降、町人に経済力がつき蓄財が進むにつれて次第に町家にも広まっていきました。

 

本瓦葺き(丸瓦+平瓦)


◆ 左桟瓦の分布状況

 左桟瓦は、西日本の一部の町の古い建物に残っています。ある調査によれば、高知県高知、島根県松江、岡山県足守、福岡県秋月などで見られ、江戸時代の藩でいうと約 20 に分布しているとのことです。

 

 東日本にはなく、なぜ西日本で左桟瓦が使われたのか?

 

 台風や季節風などの強風が吹く土地柄、瓦生産や瓦職人の保護奨励策の政治的な事情など、諸説ありますが定説はないようです。

 三田には旧九鬼家住宅のほかわずかに残っていますが、江戸から明治にかけてはもっと見られたものと思われます。三田周辺にはなく、三田にだけ残る理由はよくわかっていません。

 


□コラム1□

え、真ん中から左と右に葺き分け!

 高知の重要文化財に指定されている住宅では、屋根の中央から左桟瓦と右桟瓦を左右に葺き分けて、台風時などに屋根の端の部分(けらば)から侵入する雨水を防いでいます。

 左桟瓦本来の合理的な使い方ですね。

 

 


□コラム2□

旧九鬼家の左桟瓦はシャープ!

現在の桟瓦の桟の部分は丸みがあるものがほとんどですが、私どもが知る「左桟瓦」はこの山形の部分が尖っています。古い瓦に多く、鎬(しのぎ)桟瓦といいます。

 

旧九鬼家住宅の左桟瓦は貴重なもので、大切に残していきたいものですね。